昔走りやだった頃
昔僕はバイクを改造し( 暴走族では無いですよ )峠( 山 )を走ってった 。
あの頃はその峠もたくさん走ってた。
今はもうさびれてしまって、キャッツアイも設置されコ-ナ-にはラインが引かれ飛ばせなくなった。
その頃は休みのたびに峠に行ってた。
独身だった頃・・・。
” 死ぬ ”事は考えなかった。
とにかく自分が描いたラインをいかに早く走るかを考え無心で走ってた。
前回でタイヤをドリフトさせながら走ってった。
ある日友人とその峠の頂上で逢う約束をしてた。
しかしその日は朝からなんだか走りたくないと言う気持ちがあった。
僕はその峠に行くル-トをその日は変えた。
海岸線を走って行った。
嫌な予感がした・・・・。
的中した。
その海岸線は全部ブラインドコ-ナ-( 先が見えない )で、あるコ-ナ-でパッとトラックが見えた!
一瞬だったが走馬灯は本当にあった。
色々考えた。
コンマ何秒かだったけど。
避けれないな・・。
ぶつかるな・・。
入院かな・・。
ボ-ナス減るかな・・。
入院嫌だな・・・。
どこに入院しよう・・。
そこまで考えたら意識が飛んだ。
飛ばされてた。
僕はゆっくり立ち上がって、どこがけがしてるかをゆっくり全身を確かめた。
右足がおかしかった・・。
膝がなんだかギシギシする・・。
左手の親指の付け根の所が、レシンググロ-ブの上から見ても分かるくらい膨らんでた。
自由に動かなかった。
骨折してると感じた。
右手は・・。
小指がオカシイ・・。
腰が痛い・・・。
僕はゆっくり立ち上がって、相手のトラックに乗せてもらって病院に行った。
僕は一人で足を引きずりながら受付に行った。
紙に名前を書こうとしても書けなかった。
受付の人に「 さっき、トラックとぶつかったんで書けないんですが・・ 」。
受付の人は慌てて救急の方へ案内してくれた。
そこには何人かいた。
僕は手術室が開いてないとかで、その場で手術を受けた。
医師が何やら話してる・・。
局部麻酔なのでまる聞こえだった。
それから処置が終わって帆の大きな病院では、入院させてもらえず小さな外科病院に移された。
病院はこんな骨折だったら、もうくっつくのを待つだけなのでおいてもらえない。
それから母親が来た。
心配をかけてしまった。
入院中はたくさんの見舞客が訪れた。
男女ともかなり多かったみたいで、病院側も驚いてた。
中でも女性の見舞客には美人がかなり多かった。
その事もうわさになってたみたいだ。
後から母親に聞いた話だが。
毎日のように見舞客は訪れてくれたが、僕にとってはそれが困ることもあった。
ちょうど3時( お昼 )頃、大のほうがしたくなる時間帯だった。
僕は右足、両手を骨折してたんで動けなかった。
所謂” おまる ”のお世話になってた。
その時間帯に来られると、我慢するのに困った!
それが唯一の悩みだった。
後は好き放題やってた。
そんな病院だった。
アルコール( ウイスキ- )を持ってくるものもいた。
タバコも勝手に吸ってた。
でも唯一残念だったのは、良くある( ? )看護師さんの女性と仲良くなるかな・・って機会を持てなかった事・。
贅沢か・・。
昔の話だ・・。
バイクは良かった。
何もかも忘れさせてくれた。
あの頃もっと真剣に” 将来( 結婚 )を考えてたら・・。
もう過ぎ去った事だ・・・。